(日本語は英語の後にあります!)
Hello, I'm Kazu. On this blog I write about the true self discovery and about Yasuyuki Sato who has developed various kinds of methods to enable people to awaken to their true self (their god nature inside) , as well as experiences of people who actually discovered it from my own view.
I'll continue to write the story of Mr. Sato's earlier days. Mr. Sato left home for Tokyo metropolis at the age of 15, and threw himself into the world of sales. In the midst of working as a salesperson, what Mr. Sato always prioritized was his personal growth as well as making his customers happy. He really wanted to mature as a person and refine his character, as he had long cherished the aspiration to be a business manager.
With all his effort and struggle, Mr. Sato could become the top salesperson in Japan at an early age. Having saved enough money from the sales, he finally fulfilled a cherished dream of having his own restaurant, a small steakhouse named Domingo in Yotsuya Tokyo.
However, a grim reality awaited Mr. Sato again. When he was in the sales business, he kept himself aggressive. He was so busy working that his shoes were worn into a hole in a month. But in the restaurant, all he had to do was to wait for customers to come. Because after several years in business his restaurant was often so quiet that he could hear a pin drop. He had to train himself to be more patient. It was much harder for him.
Against this background, Mr. Sato gave hospitality to all the customers and he even welcomed them by name. He gradually attracted regular customers. Eventually his restaurant became very popular to the point where customers voluntarily made a a fan club called Domingo Club and those customers hosted the restaurant's anniversary parties.
As his restaurant business got on the right track, he started to expand its business with a new style, a stand-up-eating steakhouse. The restaurant was very unique, because it could maximize turnover of the customers in a small space. It gained the momentum and he expanded it to 70 branches throughout the country.
He became a famous entrepreneur virtually overnight. He always had many interviews from newspaper, magazines, TV etc..even from Hong Kong.
This might sound an incredible success story of a young man from the countryside. However, the story continues. Despite all his business success, he started to feel seriously depressed.
(to be continued...)
佐藤先生の人生 3
こんにちは。谷和代です。
このブログでは、自分の中にある「本当の自分」=真我に出会うメソッドを開発された佐藤康行先生や真我について、また実際に真我に出会った方々の体験等を私自身の視点から書いています。
佐藤先生は15歳で北海道から単身で上京し17歳で営業の世界に見を投じます。セールスをする中で、常に焦点を当てていたのは目先の数字の目標ではなく、自己の成長とお客さまに喜んでもらうことでした。いつか経営者になってビジネスで成功するという夢をもって、常に自分自身の内面を鍛え人格を磨く努力を続けるのでした。
さまざまな苦労の甲斐あって、若くして日本一のトップセールスマンに躍り出ます。貯まった資金をもとに20代半ばで店をオープンしました。ついにレストラン経営という夢が叶ったのです。東京四谷の小さなお店、ステーキハウス・ドミンゴです。
しかし、そこでも次ぎなる試練が待ち構えていたのでした。
営業時代はとにかく休む暇もないほど人と会い、一ヶ月で靴に穴があくほど歩きつづけ、時間を惜しんで働きました。つねに攻めの姿勢です。
しかし、レストラン経営というのはこちらから向かっていくのではなく、お客さんがくるのをひたすら待たなければいけません。開店後の数年間はほとんど人が入らず、一日に数人の客しか来ない日もあったほど経営が苦しかったそうです。まさに忍耐力が鍛えられたといいます。。待つことは営業で攻めるよりもはるかに大変だったようです。
そんな中、きてくれたお客さん一人一人をとても大切にし、そのうち名前まで覚えて誠心誠意のもてなしをするようになりました。次第にリピーターが増え始め、数年後にはお客さんがお店のファンクラブを作り、記念日にオーナーシェフの佐藤先生を招待してお祝いをするほどの人気店となります。
こうしてレストラン経営も軌道にのったころ、新たに立ち食いステーキのチェーン店をオープンすることになります。世界初のこの試みは客席の回転率をあり得ないほど高めることに成功します。勢いに乗ってあっという間に全国70店舗にまで展開しました。新聞・テレビ・ラジオ・雑誌と毎日のように取材を受け、香港からも取材が来るほど有名になり、一気に若手起業家として全国に名が知れていくのでした。
30代にして大きなビジネスでの成功を手にするのですが、実はこのころから佐藤先生自身の心がどんどん落ち込んでいきます。
(つづく、、)
佐藤先生は15歳で北海道から単身で上京し17歳で営業の世界に見を投じます。セールスをする中で、常に焦点を当てていたのは目先の数字の目標ではなく、自己の成長とお客さまに喜んでもらうことでした。いつか経営者になってビジネスで成功するという夢をもって、常に自分自身の内面を鍛え人格を磨く努力を続けるのでした。
さまざまな苦労の甲斐あって、若くして日本一のトップセールスマンに躍り出ます。貯まった資金をもとに20代半ばで店をオープンしました。ついにレストラン経営という夢が叶ったのです。東京四谷の小さなお店、ステーキハウス・ドミンゴです。
しかし、そこでも次ぎなる試練が待ち構えていたのでした。
営業時代はとにかく休む暇もないほど人と会い、一ヶ月で靴に穴があくほど歩きつづけ、時間を惜しんで働きました。つねに攻めの姿勢です。
しかし、レストラン経営というのはこちらから向かっていくのではなく、お客さんがくるのをひたすら待たなければいけません。開店後の数年間はほとんど人が入らず、一日に数人の客しか来ない日もあったほど経営が苦しかったそうです。まさに忍耐力が鍛えられたといいます。。待つことは営業で攻めるよりもはるかに大変だったようです。
そんな中、きてくれたお客さん一人一人をとても大切にし、そのうち名前まで覚えて誠心誠意のもてなしをするようになりました。次第にリピーターが増え始め、数年後にはお客さんがお店のファンクラブを作り、記念日にオーナーシェフの佐藤先生を招待してお祝いをするほどの人気店となります。
こうしてレストラン経営も軌道にのったころ、新たに立ち食いステーキのチェーン店をオープンすることになります。世界初のこの試みは客席の回転率をあり得ないほど高めることに成功します。勢いに乗ってあっという間に全国70店舗にまで展開しました。新聞・テレビ・ラジオ・雑誌と毎日のように取材を受け、香港からも取材が来るほど有名になり、一気に若手起業家として全国に名が知れていくのでした。
30代にして大きなビジネスでの成功を手にするのですが、実はこのころから佐藤先生自身の心がどんどん落ち込んでいきます。
(つづく、、)